ANA国内線【PR】
まぁなんだね
今更「人格改造マニュアル」立ち読んで、つくづく共感したのは、
世の中は押しても引いても動かねえってこと(笑。

どうしようもねえことを憂いてもしょうがねえ。
なによりこんなとこでウダウダ口上述べても見世物にもならねえ。
人にモノを聞いてもらおうとすれば、地位か、露出か、さもなきゃ工夫が必要ってこと。

今後たわごとはチラシの裏にでも。
# by momoji2004 | 2005-03-14 08:54 | 日常
まぁ転載だが
745 :マンセー名無しさん : 04/07/19 17:46 (p)ID:JSw0nqC0
私は実は現役の官僚だが(どこに属するとは言えないが)、政治家の姿を
まじかで見て、この国の政治はここまで腐り果てているのかと、絶望と同時に
ハラワタが煮えくり返った。 どう考えてもおかしいだろう? 数百人を拉致された被害者の日本が
北朝鮮に出向いていって、連中に対して「過去の謝罪」を約束したんだぜ?
それが日朝ピョンヤン宣言だ。 しかもそれは自民党森派が自分の派閥の新たな資金源にするために描いたシナリオだ。
こういった与党の大物政治家と外務省、そして政府広報を取り仕切る電通、経済界の 四者がグルになって、
今韓国ブームを煽っている。それはなぜか?

749 :マンセー名無しさん : 04/07/19 17:53 (p)ID:JSw0nqC0
実は南北統一後の「経済協力利権」を見越しているんだ。
南北が統一すると(たとえそれが連合という形であれ)、韓国が莫大な社会的負債を抱えて大変だろう。
しかし、日本人が韓国が大嫌いだったら、そんな韓国を助けようと思わない。
だが、仮に日本人が韓国が好きだったら、「韓国を助けよう、経済協力をしてやろう」と
いう世論を喚起しやすいだろう。
そうして、統一朝鮮に対して無償・有償の経済協力資金が投じることができる。
それが、商社・ゼネコンに振り分ける自民党森派の金脈となる。
だから、日本国民が「韓国好き」になるように、必死で与党大物政治家と電通が煽っているんだ。

743 :マンセー名無しさん : 04/07/19 17:39 (p)ID:JSw0nqC0
カラクリはこうだよ。
外務省のODAや旧大蔵省管轄下の特殊法人・国際協力銀行を通じて、
2兆円とも3兆円とも言われる無償資金あるいは低金利の有償資金が
日本人の税金を原資として北朝鮮の経済建設に投じられる。
それを「受注」するのが、実は日本の商社であり大手ゼネコンなんだ。
これは俗に「ODA利権」と呼ばれるし、65年の日韓条約締結の時などは
「賠償利権」ともいう。
これを仕切る、あるいは仕切りたいと思っているのが
小泉の属する森派会長の森喜朗だ。前首相の森は、自分の派閥の金脈にするために
祖国に対して北朝鮮に「過去の清算」をさせ、日本国民の税金を投じようとしている。



まぁ100パー信じられるネタではないにせよ、なるほどとひざを打つ部分はある。
税金をポンと供出したあとはキックバックでごく一部の人間だけウハウハか。
日朝韓問題も結局はおなじみの政官財利権か・・・
で、両国の庶民の意向は当然無視と・・・

いつだって支配者の都合に振り回されるのは無力な庶民、ってのは国を問わない真理だな。

もはや国に関わらず、己が保身と私腹を肥やすことしか考えねえ支配層ってのにはハラワタが煮えくり返る。
ことこの国がやることで、純粋に国民のことだけを思いやってやることなんて過去から今に至るまで本当に皆無なんだよな。
いいかげん世の中ひっくり返さないとだめなんじゃねえ?
# by momoji2004 | 2005-03-09 07:59 | ニュース
イムジン川

イムジン川は深い。
綺麗な旋律と風景に乗せた叙情的歌詞で、単なるいい歌と聞き流されそうでもあるこの歌、
実はやはりそれなりの深い意味が込められているのだ。
http://www.yoichit.com/wb/04/04-07-14.htm
単に南北分断を嘆いた歌、ともいわれがちだが、これはあくまで分断後の北朝鮮で作られた歌。
その本質には実は南の人はかわいそうに、北マンセーというニュアンスがこめられているのである。
http://www.ne.jp/asahi/ts/hp/file1/file1020_imujin_river.html
日本のフォーククルセイダースは、そういうニュアンスをあえて知っていたのか・・・?
今から見ても実にセンシティブな彼らの楽曲、活動ぶりを鑑みると、当時、理想の地とも目された北朝鮮の歌を取り上げることになにかしらの思惑もあるいはあったのではとも思えてしまうが・・?

ことほど左様に日朝韓の問題は、深い。


それは、戦中の事はもとより、
戦後、かの国が、片方が共産主義、片方が民主主義を標榜し分断されたことでさらに複雑な構造を為し、
それ故に、安易な結論を拒絶してきた事に根本的な問題がある。

かつて民主主義によって抑圧から解放されたはずの南の国は、戦後長きに渡り強引な独裁政治があり、
かつて最後の楽園と歌われた北の国は、のちに支配層が搾取するだけの専制国家に過ぎないと知れた。

朝鮮戦争も含めた混沌とした状況下、戦後保障も向こうの支配者の都合によってうやむやにされてもしまった。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20050117AT2M1700H17012005.html

なんのことはない、いつの時代も権力者によって庶民は右往左往され、泣かされているだけなのだ。


このコラムはもう何ヶ月も前のものだが、機会を逃しつづけ、貼るまいかとも思ったがあえて今貼る。
このご時世問題も多かろう。
拉致家族には筆者も遺憾の意を抱くし、この理不尽に怒りもする。
しかしこの問題も元をたどれば、加害国の支配者の疑心暗鬼が生み出し、また被害国側の支配者も見てみぬふりを長年続けたことに問題があるのだ。

事ここにいたっては、軍を持たない、戦争も放棄したこの国に残された武器はもはや経済制裁をして他に無い。
形としても制裁がなければ、増長を許すだけだ。
しかしそれは支配層より被支配層により多くの苦しみを与えることも事実なのだ。

筆者の考え、それはズバリ被支配層に革命を起こして欲しいということ。
支配者の首を挿げ替えるだけで果たしてかの国の本質が、日本との韓国との関係が修復されるのかは疑問があるのは事実だが、もう金体制は限界なのもまた事実なのだ。
将軍の肖像に落書きをする、その意気を形にして欲しい。


で、井筒監督のこの意見。
パッチギにあたって多くの朝鮮関係者に義理が出来たせいなんだろうなぁと、漠然と思っていた。
パッチギについてはネットでも闊達な意見交換がある。
それは映画にそれだけのパワーがあるからなんだろうが、
http://movie.maeda-y.com/movie/00455.htm
http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20050124
http://d.hatena.ne.jp/lovekorea/20050206
上記などでパッチギの意見が喧々諤々交わされるのをつらつら見ていたら、
『 井筒監督が何かにとり付かれたように「日本イコール悪魔」という在日物の映画を作るのには理由があるんですよね。
 かつて井筒が映画の撮影中に役者を死なせてしまい、その人の家族から訴えられて多額の賠償金を要求されたんですが、その時肩代わりしたのが在日朝鮮人の映画会社社長さんでした』

すわ、「東方見聞録」か!
坂本順二とタッグを組んでたのは今回はじめて知ったが、この撮影には忘れがたい事件があった。
筆者は新聞などで読んだだけなのだが、鶴光のオールナイトニッポンで映画監督らしからぬ野放図なキャラを知って以来、ことあるごとに注視していた監督だった。
その撮影で、エキストラが死んだという。
備中松山城で5000人のエキストラを集めるなど今にも通じる豪気で活気溢れる現場で、撮影は快調に進んでいた、はずだった・・・
一人の名も知らぬエキストラが鎧姿で滝つぼに入って行くまでは。
それが監督の指示だったのかはわからない。
ただ、彼は浮かんでこなかった。
それは映画全体から監督の人生へまで波及していく暗い波乱の幕開けだった。
http://www.be.asahi.com/20040911/W14/0028.html
http://www.be.asahi.com/20040918/W14/0028.html
http://www.be.asahi.com/20040925/W14/0028.html
・・・・地獄で仏というか、元々「ガキ帝国」の頃から在日に対しては親近感はあったのだろうし、それゆえに在日の監督崔洋一、そして映画配給会社シネカノン社長の李鳳宇との縁が生まれた。この出会いを恩義に感じなくては男ではあるまい。
かといってむやみにへりくだったり媚びたりすることではなく、友が責められてるなら守る「義侠心」というのがこの意見の根底にあるものだろうと思う。
北朝鮮や在日の人が全員拉致に関わっているわけではない。
なのに無関係な在日朝鮮の人が日本人からそのことを責められるということは、まさに今の日本人に戦争責任を問うような、抗いようもない言葉責めでしかないのだ。
文句は支配者に言うべきなのだ。
あるいは行動するべきなのだ。

かつて松山千春が鈴木宗男をかばったように、
男には義侠心で意見を言わなければならないときがある。

そして作品を世に出す以上、自分の中できちんと結論は決めておくのは創作者の責任だ。
パッチギが人によってどう受け止められようが、それは人それぞれでいい。
ただ、パッチギは井筒和幸の責任においてあれが結論。
故に作品としてゆるがないものが、濁らない輝きがあるのだ。
玉虫色の脚本家、監督しかいない昨今、筋が通ってるってのは貴重なのだ。
それを見れたものは幸いなのだ。
# by momoji2004 | 2005-03-08 07:59 | パッチギ!
「パッチギ!」を見て── 解析編
パッチギ鑑賞文第四部。
というわけで今度は作品の構成などについて語ってみたくもあり。

ネタバレ注意



この作品の粗筋は、GSの真似事から女にもてようとした日本の高校生が、偶然朝鮮学校と関わって、そこの女子生徒に惚れ、イムジン川という放送禁止歌謡を通じて恋を成就させようとする話。
テーマは、差別反対、恋に国境はない、そして「歌って悪い歌なんてあるはずねえんだ!」
一言で言ってみれば簡単だが、しかし実際見てみると、実に語るべき点は多く、抱く感想もまた抱えきれない大きさになる。
時代、恋愛、友情、理想、差別、暴力、理解、死、葛藤、成長・・・

原作というか原案「少年Mのイムジン川」には恋の話や朝鮮高の番長の飽くなき喧嘩譚までは無いようなので、監督一流のセンスで肉付けをしたのだろう。
当初の仮題が「恋はパッチギ!」だったことからも、恋という要素が人を物語を動かし、また観客に対しても共感を得させやすい題材としてメインにすえたのであろうが、完成した映画を見ると、恋だけでは語りつくせない、それほどの作品に仕上がっている。

原作といえば主人公が朝鮮高に行って偶然イムジン川を聞くくだりが実際の元ネタにあったとは
http://www.yoichit.com/wb/04/04-07-14.htm
映画の勢いで気にならなかったとはいえ多少ご都合主義ではあるようにも思えたが、事実は小説より奇なりとはまことに。


冒頭からいきなりオックスコンサートで失神者続出、救急車騒動と怒涛の展開を背景に、
主人公と友人とでGSやってモテようと企む、というのが始まり。
普通の若者らしい不純な動機で主人公を端的に説明しつつ、時代の空気の説明とがともに手早くかつ印象的になされているとともに、観客に対してのいわゆる「かまし」「つかみ」として、実に合理的な導入部。
撮影に4,5時間費やした救急車到着シーン(ちなみにライブハウス内部は別の日、別の場所での収録)は正味1分くらいだったが、まぁ筆者がしっかり映って良かったwってのはさておき、この例を見るまでもなく、撮影したシーンで本編に使われているのは何十、何百分の一に満たない、というのは改めて考えてみても実に豪儀というか、まぁそれが映画というもの、プロの映像仕事というものなのだろう。
その思い切った編集ぶりは作品の疾走感にしっかり反映されていて流石であった。
無駄なキャストも無ければ無駄なシーンも一切なかった。

で、主人公たち、まずは形からということでマッシュルーム頭で哲学の道~銀閣寺参道でナンパ。
修学旅行生に鼻で笑われ、意気消沈して帰りのバスへ。
ちょうどそのころ、修学旅行中のワルが朝鮮高の女生徒に嫌がらせ。
聞きつけた朝鮮高数十人(百人?)が銀閣寺参道を怒涛のごとく駆け降り、件のワルをそのバスまで追い詰める。
バスに逃げこんだワルを引きずり出し、制裁。そしてその余勢をかって、バスに手を掛け一斉に押し倒す!
ロケ参加初日、そして2度目3度目の同行で目の当たりにしたスペクタクルシーンだ。
冒頭からここまで、適度なクスグリを交えつつ、のっけから惜しげもないハイライト連発で観客を完全に作品世界に没入せしめる。
そんな喧騒の中で、主人公は朝鮮高サイドの主役、アンソンとキョンジャに出会う。
その場では目を合わせる以上の進展はないまま、後日その新聞記事に憂慮した共産オタクの教師から、日朝友好として親善試合の申し込みを任される主人公。
びくびくしながら朝鮮高に来た主人公、案の定アンソンら番長グループに絡まれるが、逃げる途中、「イムジン川」を演奏するキョンジャを偶然みつける。
考えてみれば実に偶然要素は多いのだが、ポンポンといいテンポで進むので殆どこれが気にならない。
偶然はドラマにとって諸刃の剣だ。
必然のみを気にしすぎていたら、話は膠着して結局普通の話で終わってしまう。
しかし偶然を無思慮に盛り込みすぎても絵空事でしかない。
そのバランス、配置には細心さと大胆さが必要だ。
それまでの人生で全く関わりの無かったふたりが、ひとつめの偶然で出会い、ふたつめの偶然でまた出会い、そしてその交わりを必然としていく。
ロマンスとよばれるものの基本形態のひとつだろう。
ただ、この作品では、単なる甘っちょろいロマンスには仕上げていない。
暴力と波乱を絶妙に配して、飽きさせない構成だ。
まぁそれは甘甘のラブロマンスが苦手な監督一流の照れ隠しなのかもしれないがw。
でも偶然の迷彩具合といいそのへんのさじ加減は流石のキャリアである。
番長にかわいい妹がいる、なんてのは正直アナクロもいいとこだし、そもそも全体を通してそこかしこに実はアナクロ感はある。
その辺はクドカンなどとは明らかに対角線上にいるといっていいだろうが、
しかし、アナクロがいけないということなどはなく、ここで示されているのはしっかりとした、エンターティメントの王道だ。
在日や放送禁止歌という昨今余り扱われない題材と、関西人的笑い、そして最近とみに自粛傾向にあるバイオレンスを思い切り配置することでセンセーショナルなスパイスが効いて、凡百のそれとはひと味もふた味も違えているが。
この映画で重要なのはバイオレンスの描き方。
バス転がしにはじまり、ボウリングの玉、ピン、鉄下駄、ビー球ほおばらせパンチ、鉄パイプに酒ビンまで持ち出しても、喧嘩では死人が出ていないのだ。
これもご都合主義といえるかもしれないが、しかしそれは監督の「喧嘩はええけど殺しはアカン」というメッセージから。
コミュニケーションの形態としてそれは確かにSEXと同じくらい濃厚で明確なものだ。
うかうか喧嘩もできない現実にあってはいっそこれくらいが清清しくも羨ましいほどだ。
その一方でまた、火事と喧嘩は江戸の華とはよくいったもので、人死にのない喧嘩は格好の見世物でもある。
エンターティメント。
テーマ性の強いこの作品にあってそれをいかに両立させるか。
在日の苛立ち、日本人の面子、それらを直接力と力のぶつかり合いとして描けばいい。
シンプルだが、それを遂行するにも各方面に気を配らねばならぬ現代。
それをやってしまう度量。
テレビ放映はありえない、と当初から豪語するその覚悟や天晴れ。

そしてキャラクター配置も絶妙。
普通の高校生だが、キョンジャに出会ってから成長し、アンソンらと打ち解け、ギターにキラリと光を見せるまでになるが、日朝の現実を垣間見、葛藤する主人公、康介。
アバズレ揃いの中で終始清楚で利発な印象を守りつつ、要所要所で芯の強さを見せ、兄とは別に日本に残る意思を示し、在日の未来を託される、キョンジャ。
望郷の念を抱きつつ、出自の苛立ちと自分や家族を守る必然から限りなく強い荒くれで欲望に忠実ながら、どこか憎めない「漢」、アンソン。
康介と同じ普通の高校生だが、GSや音楽やナンパやらことごとく康介を道連れにしては事件に巻き込む、なぜかハングルまで知ってる、ドラマのきっかけ役、紀男。
アンソンに次ぐナンバー2の身ながら、包茎手術でウケを取り、廃品回収の親父との繋がりから在日社会の紹介役ともいえる、モトキ。
アンソンらの腰ぎんちゃくだが、内心臆病で、弱さを共感できる友達がほしい、チュドキ。

ドラマはこのチュドキの死から急展開を見せる。
喧嘩に死人は出ない、といったが、チュドキは例外的にその喧嘩の流れから交通事故で死ぬ。
死亡の原因が直接の喧嘩でないのもひねっているが、
この死に様もひとひねりあって、
アンソン子供出来る→金欲しい→学ランが金になる→チュドキ学ラン預かって店へ→行く道で着てみたくなる→人違いで反朝高連合に連行→殴る蹴る→間違いだったと分かり解放→逃げる→バイク→避ける→トラック→急停止→鉄パイプだけ慣性の法則→脳天直撃→死亡
・・・と、見方によってはめまぐるしく、滑稽ともいえる顛末。
そして次のシーンが葬式という、コマ落としのような展開だが、
なまじここで当たってからの死んでいくさまやらを省略したことでかえって、あっけなさ故の悲惨さが浮き彫りにされている。
この死の前に、康介と心を通わすシーンがあっただけになお悲しみが被さる。
思えばあるときからチュドキにおぼろげながら死亡フラグは立っていて、観客もここかここかと、変な話期待しては肩すかしされ、最後の最後、トラックに轢かれるかと思いきや、止まったはずのトラックの荷台から滑り出てきた鉄パイプでとどめ、で即葬式、このテンポの誘導ぶり、観客を手玉に取るような手管というか、
このへんはまた流石のセンス。

そして葬式での朝鮮部落の長老の重い発言。
「生駒トンネル」「国会議事堂」国や企業の利権や権威付けの中で数え切れない同胞が強制連行されたよその国で命を落とした。
日本の一高校生、それも故人チュドキの友人にそれを言ってしまう、言ってどうなるものではない、でも言わざるを得ない哀しみ。
この長老役もいいが、朝鮮側のキャストもいい。
モトキの父、キョンジャアンソンの母、辛い戦争時代を知る世代だ。
それをふまえつつ日々を生きるしたたかさ、苦労の深さがにじみ出ている、演技力をふまえたいいキャスティング。
他にも共産オタクの教師は、共産主義がまだ理想として語られる時代の象徴として、その頭でっかちの無力感、ロシア女のヒモになるオチまでしっかり存在を示す。
カメオ的に出た引越しサカイの人、おさむ師匠、松之助師匠らの配置も、目を引くポイントリリーフ的アクセントになっていた。
まぁ松之助師匠に関してはカツゼツがアレだったが(本職でしょうに・・・w)

客演的出演で大きな印象を残したのは、オダギリジョー、大友康平。
オダギリ氏は主人公を音楽に導く象徴的存在として4,5シーンに出た程度なのだが、映画の大半に関わっている程の印象を残し、
大友氏は後半やや唐突に出てくるが、ラジオ局のディレクターで、後半のハイライトの重要人物としてドスの聞いた声で名セリフ「この世界に歌っちゃいけねえ歌なんて、ねえんだよ!」と吼える。
これはまさに葬式の重いセリフともども外せない、監督の叫びそのものだろう。
そればかりなら実に暑苦しい、クサイ映画になりかねないが、緩急取り混ぜつつこういうセリフをとっておきの場面でぶっ放す、絶妙のバランス感覚がここでもまたあるわけだ。

そうした中で、主人公は人間として男として成長をして恋を成就させ、観客のカタルシスを満足させる。
そしてキョンジャを車に乗せ、見晴らしのいい河原沿いの道を走り出す。「キョンジャの行きたいとこならどこへでも」

もう一人の主人公たるアンソンも喧嘩に明け暮れた番長を卒業し、北へ渡ることもあきらめ、父親として大きく成長し、守るべき新たな家族とともに、列車の中。

行き先は「未来」


論客としても鋭いモノをもっているだけに、本質を貫く力のある言葉を生み出す言語能力はもとより、
そこに豊富な経験に裏打ちされた映画作りのセンスがあわされば、どんな無関心な人間にも鋭く突き刺さるエンターテイメントが生まれる。

メッセージエンターティメント。
この言葉をこの映画に送りたい。
# by momoji2004 | 2005-03-08 07:15 | パッチギ!
「パッチギ!」を見て── 評論編
世はまさに韓流ブーム。
でも世間の人は、かの国のことをどこまで知っているのだろう?
ぶっちゃけ、今ヨンさまヨンさま言ってる世代って、まともに差別してた世代じゃ・・・?(;´Д`A

そう、かつて、この国にはかの国の人に対して差別があった。あるいは今も。

それは先の大日本帝国時代、日清戦争前にまでさかのぼる。

西洋列強の植民地政策はアジアにまで及ぼうとしていた。
アジアでいち早く近代化に成功した日本は、その脅威を断つべく、アジア全土の近代化を急いだ。
しかしそれは清帝国、李氏朝鮮といった保守旧勢力との軋轢を必然的にしてしまった。
結果それを力で封じ込めようとするも、それから何十年の長きに渡り、アジアの禍根として今なお残ることになってしまった。

差別はいかにして生まれたか?
まず言えるのは、中国、朝鮮から見て日本は末弟の国であったと。
そんな国に従うのはプライドが許さない。
ひっきょう、対立は起こる。
それを鎮めようと焦れば、力ずくになって、体制で封じ込める、とあいなる・・・
加えて、日本は近代化に成功したとはいえ、植民地政策の肝要を知らなすぎた。
アヘン戦争という、歴史的にも酷い戦争を仕掛けられ、香港を155年もの長きに渡り占領されたイギリスに対して、中国は驚くほど寛容なのはなぜか?
彼らは良い植民地支配をしたからに他ならない。
なにより、黒船以降アジアのすべてが白人の思惑通りにのせられたっていうのはあったかもしれない。
朝鮮は鎖国を完遂した。
しかしこれは裏を返せば、他国人の支配や干渉を極めて嫌う性質を、欧米列強は見抜いていた、故に開国を無理強いしなかった、のかもしれない。
そして日本に火中の栗を拾わせた・・・とも。

誰かが損をすれば誰かが得をする。
この国の中においても、他人の血を生贄に欲得を貪る連中はいる。
今も昔も、この国の本質は、政治家と官僚と財閥の利権のためにすべてが定められている。
そもそもあの強引な拡大侵攻策自体、アジアの、日本の発展を謳いつつ、一番得をしたのは実はこの連中なのだ。
かの国の支配を、この連中の視点から見てみれば、
政治家にとっては国内で被差別層が出来るのは、多くの庶民が上を見ずに下を見てつましく従順な家畜になってくれるためにも必要であったろう。また、戦争において「死んでもいい兵」としても。
官僚にとっては、植民地政策は外国で王様気分になれるポストが増えるためにも、また必要だったろう。
そして財閥にとっては、安価で、ケアにも気を配らずに使える人足として、大いに必要であったろう。
実際あの時代に大いに財を成した財閥は枚挙に暇があるまい。

そして庶民もそれに乗ったのだ。


劇中、主人公の母親は家に息子を送ってきたキョンジャ(沢尻エリカさん)たちを、「普通に」冷たくあしらう。
普通の人には悪意は無いか?否。普通の人には普通に普通の悪意があるのである。
主人公の母親という近しい存在を、きちんとそういう風に描いたあたり、作品への、テーマへの真摯な姿勢を感じざるを得ない。
日本人と在日朝鮮人の結びつきを主軸にすえながら、そういう意味で随所にバランスの良さが感じられるのは流石だ。
それが鬱々とした展開にならず、スピード感とインパクトでもって一級のエンターティメントにもなりえているのもまたバランスの良さ。
ヤンキー映画は傑作が多い。
それは人間の根源的欲求をおしげもなく晒す人種であるからだろう。
エロ、グロ、ナンセンス、そしてバイオレンス。
ハリウッド映画でもこれらは子供と老人と動物と並んで、売れる要素とみなされるものだ。
お金を取って人に見せるものである以上、見て楽しいのは前提として要求されもする。
多くの人間はテーマだけを真摯に、気長に見れる、寛容な存在ではない。
それをしっかりと踏まえ、関西人として必須のクスグリもいれつつ、笑わせもしーの、泣かせもしーの、なんと豊かなサービス精神か。
何より、時代背景が、監督の青春であったこともあって、思い入れもひとしおなのが画面を通しても伝わってくる。
ヤンキー+60年末期+在日アンチテーゼ、これだけの材料があっては燃えてこなくては井筒和幸ではあるまい。

キャストには若い世代が当てられたが、実によくがんばっている。
誰一人として無駄な人間がいない。
自分たちが生まれる前の、関西の、在日の役というのは本当に難しかったろう。
ロケに同行した折、時間を見つけては現場の片隅で一人芝居を繰り返していた彼ら彼女らの努力は見事に結実したといっていい。
その若さがまたうらやましくもある。
現場ではいつもロングの視点でしか見てなかった(当たり前だが)ので、改めてカメラに納められたシーンを見て、彼らの演技の輝きと各シーンの意味の大きさを再確認して、自分たちの見ていたのは映画のほんの一部分に過ぎないのだと、いささか感じ入った次第。

さて一方、予算的にはハッキリいって厳しいとの声もあり、昔のバスがなかなか手配できなかったり、昔の番組をテレビで流そうとしたら法外な使用料を請求されたり、この平成の時代にあの時代の空気を作り出すのはまた難儀だったことであろう。
しかし、映画の中では見事にその空気を作り出すことに成功した。
エキストラにラッパズボンやアフロやロングヘア(昔の)も出さず、転がすバスの背景には後ろにモニターカメラがついた今時のバス、アンソンやモトキやケンコバの髪型は今風だし、朝鮮高校のトイレはあからさまに今風の綺麗なトイレ(色付便器)だし、当時の東九条ってあんな高いビルとかあったのか?とか細かいところを探せばキリはないが、なぜかひっくるめて許せてしまう、これが作品のパワーなんだろうなぁ。
つかビルは今の技術ならCGで消せそうなんだが・・・
それをしないのが井筒流なんだろうw。

映画の結末を見るに、多分筆者と監督は似通った結論を持っていると思いたい。
「未来」
とどのつまり、それが一番大事なのだ。
ムカついたら殴り合ってもいい。
その上で五分のつきあいだ。
そうして未来を作っていく。
過去は過去としてしっかり認識もしよう。
そしてそのようなことは二度とないようにしよう。
俺たちには未来しか作れないのだから。


井筒監督は嫌いみたいだが、去年「69」を書いたクドカンが週刊プレイボーイの連載でこの映画を見て素直に褒めてたのが印象的だった。
# by momoji2004 | 2005-03-05 10:58 | パッチギ!
「パッチギ!」を見て──回顧編
さて、エキストラとして出た以上、やはり気になるのは自分のシーン。

一般参加者としては結構な登板回数だっただけに、一体どれほど件のシーンが使われたのか・・・

ざっと見て、ハッキリそれとわかったのは3つ。

のっけのオックスコンサートに救急車が走りこんでくるシーンの、ライブハウス前に通りかかる救急車に気付いてちょっと向き直るカップルの男。
多分一般的視点なら注視することはないであろうw。

次は映画館で康介(塩谷瞬氏)と紀男(小出恵介氏)が話してる、真後ろの席の男w。
ピンこそあってない(当たり前)がえらい映ってます。


最後はキャバレーで、アンソン(高岡蒼祐氏)が空手部大西(ケンドーコバヤシ)を見つけて、鬼の形相で迫っていくシーンの、やや奥を横切るウェイター。
これは顔もわからんのですが、位置的に筆者しかいなかったとこなんでw。

期待された、銀閣寺の参道で塩谷氏とすれ違うシーンとか、キャバレーでのケツ大写しはナッシング・・・
とはいえ素人でヒット作にこれだけ出演できたのだから上出来であろうと。

とまれ、こうやって改めて自分の姿を見ると、猫背だなぁとか、目ぇ細いなぁとか、色々目に付くとこはあるんだが、一番ショックだったのは、額がかなりキテるなぁというのが・・・
つか、あんなにキッチリ七・三にしないでも・・・・orz  今更だけど・・・
# by momoji2004 | 2005-03-05 09:06 | パッチギ!
「パッチギ!」を見て──叙情編
去る3月1日、待ちに待った映画サービスデーに際し、ついに、というかやっと
「パッチギ!」を見る。

つか金のない今日この頃、なんとかして安く見てやろうと市内の金券屋という金券屋を巡りに巡ったんだが、映画の株主優待券って実にまちまちな値段がついてるんだなぁということを学びつつ、某所でパッチギ800円という文字にバッテンがついてるのを見たときは時既に遅かりしとすっかりorzだったが、逆にそれだけヒットしてるんだとうれしくもあった。
でもそもそも、試写会さえ行けていれば、なぁ・・・( ´・ω・`)

今年はうかうかしてられない年ってことなんだろうが。。。

京極MOVIXには初めて行った。
シネコンなんてオサレなモンには縁のない生活だが、指定席制ってのは小耳に挟んでたんでチケットカウンターでも迷うことはなかったが、
もう4週か5週の上映にもかかわらず、流石1000円で見られるこの日を逃すまいという人も多く、殆ど満席。
これまたうれしくもちょっと苦笑い。
前列3列目か最後列かで、ちょっと考えて最後列に。
入ってみたら、それほどの距離も感じず、まぁまぁのポジションで一安心。
つかあの効率を考えたであろう密集ぶりはちょっとマグマ。まぁいい。

始まる前は、自分が間近に見て体験したシーンを見たら、郷愁にふけってしまわないかと思ったが、いざ始まってみるとスピード感とパワーに圧倒され、そんなものにふけっている暇は無かった。
実に濃厚な2時間だった。
でもやっぱり自分の出たシーンには背景に目が行ってしまったのはやんぬるかな。
これほど背景に目を凝らして映画を見たのははじめてだろう。
ここ京都はロケ地でもあり筆者のような多くの素人ボランティアエキストラもこの日、この時、劇場に集まっていたのやもしれず。
ロケ弁やノベルティや色々な手間はかかれど、絶対的な集客宣伝にもなる、このシステム、改めて妙案。

さて、感想からいうと、普通に感動したのは勿論、同時に言い知れぬ感情もわきあがってきた。
果たしてそれは、郷愁なのか、憧憬なのか、取り残されたような喪失感なのか、焦燥なのか、はたまた嫉妬なのか・・・・
この10ヶ月、筆者は競争をしていたように思う。
それは傍から見れば馬鹿馬鹿しいものだろうが、しかし結局この10ヶ月、井筒監督をはじめとするパッチギスタッフキャストが懸命になってこれほどの作品を作り上げていたとき、俺は何をしえたのであろうと。

涙こそ出なかったが、あたかも泣いた後のような呆然が、帰り道にあった。

# by momoji2004 | 2005-03-05 05:12 | パッチギ!
これでいいんだ輪道
今週の輪道はいい!
今まで色々くさしたようで申し訳ないが、しかし今回はいい!
仮面校長大爆発ですよぉぉぉぉぉ!ドンドンドン!(机を叩いて炎上)

あらすじ
タイヤを引きずって自転車で急坂を乗り越える試練が課せられるも、誰もクリアできない競輪学校生徒たち。
ならばと手本とばかりに長きに渡りベールに包まれた仮面校長がもろ肌を脱ぎ、自転車に跨る!
隆々たる筋肉に驚く生徒一同。

タイヤをさらに一本追加させたことに、当初は誰もその成功に疑念の目を向けていた生徒たち。
しかしその筋肉をフル稼働させたとき奇跡は起こった!
動いた!のみならず大型タイヤ2本をぐんぐん引きずってさらに加速を加え続ける。
すると今度はそのタイヤ2本が浮いた!
超人的なパワーによって生み出されたありあまるスピードが起こした奇跡!
そのまま坂の頂上へ!

登りきった!
そのとき誰もが人間の筋肉と自転車の可能性の果てしなさを実感する!



これだ!これですよぉぉぉ!
沸騰する血流、湧き上がるアドレナリン、昇華する汗、怒張する筋肉!
そしてそれらが自転車と一体となってペダル、ギアを経て巻き起こす、ありえない奇跡!
怒涛のスピード感!
凝縮したエネルギーを一気に爆発、完結させるカタルシス!

これさえ描いていれば、これだけ面白くなるんですよぉぉぉ!

もう、下手な浪花節も、色恋も、ギャグもいらないんですよぉぉぉぉ!
無論それらの存在は否定しないが、作品の中で使いこなせないんなら出さないほうがいい!
使う自信があるなら覚悟を決めて使えばよろしいが。

とまれやっぱり輪道はまだまだ可能性のある作品なんですよぉぉぉぉ!

あとは一つのコマで4人以上のキャラに台詞を言わせるのは控えたほうがいいかも。
せっかくのキャラがエキストラ並みに薄い存在になっちゃいますよぉ。

今現在、個性があって存在を認められている脇役はズバリ仮面校長しかいねえです。

脇役とはいえ個性を出しつつ、その個性が読者に受容されるキャラにしていくには、「誰が言ってもいい台詞」をできるだけ言わせないで、「そのキャラしか言えない台詞」を大事にして、しっかり役割分担していくことですよぉぉ。


とまれなんでも3週以上は引っ張りがちなこの作品にあって、今回はエピソードを一回で描き切ったという点でも◎。
自転車なんだからスピードが勝負なんですよぉぉぉ!
# by momoji2004 | 2005-02-13 20:19 | 漫画
祭りは終わりぬ
一向に全貌を見せない西部講堂イベント、痺れを切らしてついに19日、西部講堂に偵察に。

道すがらや大学構内でそれらしい告知を探すも、ポスターの一枚もなし。

公式HPには20日主要キャストは福岡へ行くとの由、これはポシャッた?

とか思って件の西部講堂に行ってみると・・・果たして「パッチギ!」のポスターが。

やっぱりやるのか!と期待するも、一応受付などセッティングされているようだがイベントについての記述などは一切なし。

有料イベントなら料金やら、学生のみなら生徒手帳必携とかありそうなものだが・・・

わからんまま帰宅、改めて調べてみる・・・・

普段「パッチギ」でしか検索してなかったのが甘かった。

今回「パッチギ 西部講堂」で検索してみると・・・

でるわでるわ、試写会応募。。。

殆どは1月初旬締め切り・・・

どうりで、料金やらの記述がないわけだ・・・・・・・・・・orz


ウワァァァァァァヽ(`Д´)ノァァァァァァン!


まぁ送っても当たったかどうかわかんねえけどさ・・・・


しゃあねえ、、、千円の映画サービスデーにでも見に行ってみるさ・・・・
# by momoji2004 | 2005-01-20 04:51 | パッチギ!
もうちょっと輪道
あっちの板では無事?流してくれてほっとしている一方で、
原作を読んでちょっとまだ語ってみたい部分ができたのでもうひとくさり・・・

まず、、、、乗峯味とやまさき味は融合しにくいのでは・・・?と。

乗峯味には軽妙洒脱さ、
やまさき味には質実剛健さという魅力がある。

これは双方どちらが上ということではなく、カレーと寿司のどちらが美味いかを問うようなもので、どちらがどうと比べられるものではないのだ。

そして井ノ内氏は実に実直にやまさき門下であったと。

さらに加えて言うなら、担当編集の人、おそらく作品の決定権を持つこの人こそが、
やまさき味しか受け付けないタイプの人なのだろう。

筆者なりに原作を読んでポイントと思ったのは、
・自転車でなんでもやってしまう器用さ。
・電車やバイクと競争する大胆さ。
・性的興奮で太腿が膨らむ、軽妙ながらもポテンシャルを秘めた主人公。
・通天閣界隈の猥雑な面白さ。
・ヒロインちはるの潔癖さと気の強さと主人公との微妙な関係性。
・落ちぶれつつも主人公に関わる事で再起していく元選手。
・世に出る機会はなくとも一流の腕を持つ自転車屋の爺い。

正直、主人公とヒロイン二人ともが競輪選手の遺児というところやところどころベタな展開(失礼)はあったが、それでも
漫画版の「ミキプルーン」の寝言よりはマシかと。
繰り返しになってしまうがどうしてもアレは許せない。
たかが漫画、しかもちょっとコミカルに笑わせる部分、と思われるかもしれないが、
「ミキ」という女性といい仲になって寝言で「ミキ・・・」と言ってるのを聞かれてどうのという、ンでよく聞いたら「ミキプルーン」つってたという・・・これで2週引くのはなぁ・・・
つか、なんでも引っ張りすぎ。
ズバズバ切ってテンポ良く、ってのが今風の理想なんだが、いかんせん実直なやまさき味が邪魔をするのだろうなぁ・・・
いや、実直なら実直で行って下さい。変に笑わそうとせずに。
こと笑いにかけては関西人ということもあって厳しい目で見てしまうってのもあるけど、
普段乗峯コラムで笑わせられてるファンにとって、ロクに笑えもしないことを「乗峯」の名を冠した作品でやってもらいたくはないのです。
でも、乗峯氏本人はじめ周囲の人はみな大人だろうのでなにもいわないんだろうけども。
筆者は王様が裸なら裸って言ってしまわないと死んでしまう病気なので・・・(厄介だよなぁ)

とまれ上に上げた原作のポイントを鑑みると・・・これってど直球なスポ根ものを目指すより、ケレンミを生かした、冒険ものかアクションもので行ってみてはどうかと。
大阪の町をチャリンコで縦横無尽に駆け巡る高校生。
電車からバイクまで喧嘩を売り、そして買いながら様々な事件を解決していって、最終的には競輪選手に・・・いや、あれだけ自由に取り回せたらXスポーツのサイクルトリックって道も?
とまれこういう内容なら、原作で愛着いっぱいに描かれた町なり人なり自転車なりをあますところなく使えようというか、
原作の太腿膨らむってポイントは絶対欠かしたらアカンですよ。
漫画版の主人公はといや、体が大きい以外は何の性格的身体的特徴もない・・・

少年漫画の主人公設定においては
・性格は普通だが能力的には努力を要す。(しかし原石の煌きはあるパターンも)
か、
・性格には癖があるが能力はある。
かのほぼどちらかしかお話を作っていけないもの。

性格も良くて能力もあるという漫画版のキャラ設定は・・・・

こうなると元の設定が仇になってしまったのかも・・・?
(´-`).。oO(つか漫画で小学生にしないといけなかった理由ってなんなんだろう・・)

結局カレーの材料で寿司を作ってしまったのがアレだったのかなぁ・・・

それをコントロールしていくのが編集なんだけどなぁ・・・

かつて「バキ」板垣、「覚悟」山口、「シャカリキ」曽田、他高橋葉介、おおひなたごうを引っ張ってきた辣腕さが嘘のようなチャンピオンの現状・・・

アニメやゲームのタイアップや、安易なSFアクションばっかり連発してりゃ、売れると思ってたら・・・

うえけんがネタにしてたように「そのまんま柱アオリ文」時代に逆戻りですぜ・・・

つか昔「魔界都市ハンター」の表紙に「ふんふんふんシカのふん」ってコピーつけたのは歴史に残るアレだったというか・・・

勘弁してください・・・orz

「バキ」がある以上、コアな読者は見続けてるんですよ。チャンピオンを。
そういう目に耐えられるのが「アクメツ」と「虜」だけでいいのでしょうか?>編集様


2005/02/13追加分
# by momoji2004 | 2005-01-18 07:31 | 漫画
< 前のページ 次のページ >